理想の関係性

恋愛において、理想の関係性とはどんな形でしょうか。

個人的にはそれは、誰にでも分かる形、誰にでも当てはまる形ではないと思います。当人達にとって、本当に幸せであればそれでいいのだと思います。

「恋人とはこうあるべき」という論は、いくらでもあります。男がお金を払うべきとか、女は家事をするべきとか。でも、それって窮屈じゃないでしょうか。

私は窮屈な関係性が大嫌いです。窮屈に生きるくらいなら、その関係性を捨てた方がマシだと思ってます。だからその分、相手にも窮屈な思いはさせたくありません。

何が本当に幸せなのか?相手が無理をしてないか?それを考える余裕がある関係が良い関係なのかな、と思います。

共依存は直せる?

恋愛で共依存に陥っている子がいました。知り合いなんですけれども。話を聞く度に思うことは、共依存って非常に厄介だなということです。

恋愛はもともと「お互いにとってメリットがある」から関係が成立しています。なので、共依存という毒薬じみた関係性であってもメリットがあれば成立してしまうのです。

分かりやすいので、日常的に暴力を振るうDV男とその彼女の例を見てみましょう。

DV男にとって、彼女は自分よりも下の存在です。自分(彼氏)よりも下の存在(彼女)は、自分の思い通りになっていることが快感なのです。もしくは、思い通りにならないことが不快、不安なのでしょう。

もちろん人間同士である以上、他人が完全に思い通りになることはありません。思い通りになるために暴力を振るいます。

彼女が思い通りになることが、彼氏にとってはメリットと言えます。この場合、暴力はあくまで手段です。暴力自体が快感のパターンもあるでしょうけどね。

暴力彼氏のメリットはなんとなく理解してもらえると思いますが、被害者の彼女のメリットは理解し難い人が多いです。なぜか?殴られること、痛いことは多くの人にとって、かなりのデメリットだからです。

しかし、共依存の彼女は違います。共依存の彼女にとって、殴られることはデメリットではありません。正確には殴られること自体は嫌なのかもしれませんが、殴られた後、もしくは前に彼氏が行う愛情表現は、彼女にとって欲する物なのです。

彼が素顔を晒せるのは私だけ。彼のこれ(暴力)は、「本当の姿」ではない。いつか優しくなってくれる。普段は優しい。私以外の人間は、彼のことを理解してあげられない。

そんな言葉、もしくは言い訳がこの場合では沢山聞かれると思います。被害者である彼女にとってこの関係性を続けるメリットは、そこに彼女の居場所があるからです。

彼女に「他にも居場所がある」と思える自信が無いからこそ、彼女は地獄さながらの居場所に甘んじてしまうのです。

ブラック企業にい続ける社員と同じようなものでしょう。まあ、他の居場所を見つけようとする思考力自体が疲弊しているのですけれどね。

サクッと私の見解を言わせてもらえば、共依存は治せます。ただし、それには共依存の二人の努力だけでは厳しいと思います。

ブラック企業の例でもそうですが、基本的に人間は今までと違うことをするのは苦手です。今までの時代は、こんなに早く変化していなかったので、遺伝子が変化のスピードに慣れていないのです。

なので、無理矢理に変えるしかありません。共依存対策で一番望ましいのは第三者に介入してもらうことです。

この場合の第三者の条件としては、立場が上の人間か同等の人間が望ましいでしょう。下の人間では流れを変えることができませんので。

友人や親などに相談し、「おかしいんじゃない?」と話し合う場を作ることです。余りに酷ければ警察でも良いかもしれません。ですが、私の知り合いは警察は事件が起こるまで動いてくれなかったので、あまりオススメしません。

お金に余裕があるなら精神科医でも良いかもしれませんね。

どうしても他人の介入が難しいなら、携帯やSNSなど、連絡手段を完全にシャットアウトして逃げることを考えてみてもいいかもしれません。海外に逃げても良いかもしれません。

海外になんて逃げられない?やり過ぎ?そっちの方が危険?それもあくまで固定観念に過ぎません。実際には海外まで逃げないにしても、そういう自由な可能性、多様な手段を考えるようにしておくことは決して損ではないと思います。

いつの間にか、「自分は彼がいないと何もできない」と思い込まされるかもしれませんからね。

そうして冷静になれる環境でしばらく生活できれば、「ああ、よく考えれば私はこういうことができるかもしれない」と考えるようになります。

「多分できないだろう」と、今までは全く考えていなかった可能性にチャレンジできるようになるはずです。

共依存は直せます。しかし、それはどちらかが「おかしい!」と思えるか、「その関係性は変だ」と介入できる環境(友人など)が必要です。

恋は戦い

恋は戦争、恋は戦い、ってよく言いますよね。でも、本当にそうなんでしょうか?まあ、この言葉を使っている本人は「戦争くらい本気だ!」という意味で使っているだけなのかもしれませんが。。。

恋は戦い。

もしそうなら、確かに恋愛で傷つくのも仕方がないのかもしれません。告白して振られるのも普通。既読スルーも常識。好きな人が一緒になれば、取った者勝ち(早い者勝ち)なのも当たり前。そんなものなのでしょう。

実際、モテる人は相手を傷つけることを一々気にしてなんていられません。特に、アプローチされることの多い女性側は。傷つけることを恐れていては、いったい何人と付き合えばいいのか……見当も付きません。

そういったことを考えれば、恋は戦いという考え方も仕方ないのかな、と理解はできます。しかし、個人的にはどうにも腑に落ちません。

恋の目的というか、最終的な到達点を間違っているんじゃないかな?と思います。

恋の目的って、個人的には楽しむことだと思うんですよ。結婚は色々な義務とかでがんじがらめではあるんでしょうけど。。。恋愛はむしろ遊びに近くて、楽しんでなんぼだと思います。

だから、多くの人間、異性と付き合うことを個人的には否定しません。だって、遊びなんだから、飽きたら変えてもいいでしょう?あるゲームに飽きたら、別のゲームをするように。野球に飽きたらサッカーでもするように。

ただ、どんな遊びであれ、楽しむだけであれ、最低限のルールはあります。なんせ、1人でやるだけではなく、他にも相手がいる訳ですから。

恋は遊び。真剣にやっていいと思います。ラグビーなんかと同じように、相手を傷つける、自分が傷つく可能性の高い遊びではあるとを分かった上で、遊んでみて下さい。

戦争と違う点をハッキリと述べるなら、相手を殺しちゃダメ、ってこと。もう一つは、戦争は「力」がある方が勝ちますが、恋愛は「優しさ」がある方が勝つこともよくあるということです。

生涯未婚率、やばい

生涯未婚率が大きなニュースになっていましたね。男性だと4人に1人、女性だと7人に1人。毎度思うんですけど、男女比率が絶対ズレますよね(笑

重婚が無くても、やっぱりモテる男性、お金を持っている男性が多くの女性から求められることが分かります。そういう男性の中で結婚をしていない方も合わせると、相当な数になるとは思うのですが。

恋をしていない男性に比べて、恋をしていない女性は圧倒的に少ないのです。恋愛という舞台では、やはり女性が主体で男性が添え物なのでしょう。

これにより少子化が進むという見方もあるようです。しかし、それはそれで仕方ないでしょう。これだけ社会が変化したのに、はるか昔から存在した骨董品のような制度を使い続けていることがおかしいのです。

まあ、だからと言ってどんな制度にすれば完璧かと言われると、答えられる訳ではないのですが。そもそも完璧な制度なんて有り得ないのですけれどね。

そんな形で微妙に暗雲立ち込めている少子化、未婚の問題。これに関して、私個人は悲観的ではありません。

そのうち何とかなるだろう、とは思っています。むしろ、結婚することで恋ができなくなると思い込む(浮気だと責められる)人間が減るのではないか、と期待しています。

誰かが誰かに恋をすることって、とても素敵なことだと思います。もっと自由に、もっと複雑に、もっと多様な答えがあっていいと思います。付き合うとか結婚だとかセックスだとか、その程度の単純さで終わらせて欲しくありません。

かと言って、エロ漫画やAVみたいに変な方向に突っ走れ!!と言いたい訳ではないのですけれども(笑)

個人的には、多くの人が思春期の頃に初めて感じた素敵な感情を、純粋なまま育てていけないものかなと考えているだけです。結局、今の恋愛の終着点は打算ですからね。

恋愛は非常に面倒くさい

はい。恋愛は非常に面倒くさいです。これは間違いありません。男はよく女の子が大好たと言われますが、本質的にはそんなことはありません。

基本的には、必要だから「楽しく感じさせられている」に過ぎません。男が好きなのは女の子ではなく、例の行為です。規制に掛かりそうなので、伏せますよー。さらに正確を期すなら、ホルモンの分泌を求めているだけです。

快楽系のホルモンが素晴らしいくらいに出るからこそ、恋愛という非常に面倒くさいこともできるんです。もしもこのホルモンが無ければ、今のように人間が賢くなった世界ではいとも簡単に人類は破滅するでしょうね。

まあ、とはいえ。このホルモンがあったところで、人間はそんな「目先の快楽」に負けないくらい賢くなってきてるんですけどね。結婚率の減少、少子化などの現象をみて分かるように、人間は「恋愛が面倒くさい」ということに気づき始めました。

むしろ、「脳(正確には遺伝子?)に騙されていた」ということにも気づき始めたようですね。

そして、何より世間が自分達を騙していたんです。世間って、別に個人個人が動かせる物じゃないですからね。何となくで形成されてしまうのです。英語的に言うとコンセンサス。

「結婚してようやく一人前」とかね。まあ、世間の言うことに従うのは楽ですからね。世間の言う事に逆らおうとすると、胸に軽く痛みが走ることが実証されているみたいですし。だから、世間に流されちゃうのは仕方ありません。

でも、世間自体の意見もだいぶ変わって来ましたよ。結婚しなくても、別に不思議じゃありません。恋愛したくなくても、変じゃありません。

さて。そんな時代です。恋愛しなくてもいい時代です。本当に、恋愛が絶対に必要ではなくなった時代です。

そんな時代に、あなたはまだ、恋をしたいですか?

それは、どうしてですか?

世間に認められるためではありませんか?ちなみに私は一度、世間に認められるために恋愛をしました。結論から言うと、死ぬほどつまらなかっです。

こんな時代に恋愛をする理由は、いったいどんな理由があるんでしょうか。そしてそれは、どうやったら見つかるんでしょうか(笑)

恋愛脳じゃねえよ!!

こんにちは。はじめまして。なおと申します。

唯恋論というブログタイトルではありますが、あまり恋愛至上主義的なブログではありません。むしろ、恋愛は程々にしようぜ。って感じのブログです。まあ、このブログを見に来る人で「恋愛感情を抱いたことがない」という人はいないと思います。

恋愛感情って、確かに不思議な物です。ドキドキというか、ワクワクというか。でも不安だったり、というか。

個人的には、ただの錯覚だと思ってます。恋は錯覚です。まずは、ここからがスタートです。このブログでは、こんな考えが真のスタートなのです。。。恋は錯覚。

恋愛脳かも?とか、恋愛って素晴らしい!って考えている人達に対して、「ちょっと頭冷やそう?」って、一矢報いる感じのことをつらつらと呟いていきます。

恋愛して幸せな気分になっている人に対して恨みなんて無いんですけどね。別に。まあなんて言うか、愛とか恋とか……不定形にして未解明な物をぼちぼち解剖していくブログだと思っていただければ。

幸せなんて、もっと浅いものですよ。